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企業家・若林克彦・ハードロック工業株式会社代表取締役社長

“安全”を開発せよ! 〜世界初、夢のナット開発に賭ける〜

7.商品は生き物

若林が開発商品化した「たまご焼器」(左)と「重層式ティッシュホルダー」(右)

 昭和 49 年、若林は新たにハードロック工業を設立。この新会社で、新商品のサンプル製造・販売、さらには「ハードロックナット」の性能の高さを示す振動試験を繰り返した。そして、「 U ナット」の経験から、「どんな商品も、市場に受け入れられるまでには最低3年はかかる」と考えていた若林は新商品の売り込みと併行して、様々な新商品の研究・開発を手がける技術開発専門会社パテントエンジニアリングを設立。そこで、コゲがつかない「たまご焼器」や重層式の角型トイレットペーパーを簡単に取れる「ティッシュホルダー」など、いくつものアイデア商品を生み出し、それらは百貨店やスーパーの店先に並んだ。

 その間、ハードロック工業は新製品の製造・販売に費やす設備投資や人件費で赤字を計上していたが、若林はパテント会社の売り上げや毎月支給される「Uナット」のロイヤリティーで赤字補填して奮闘する。若林は、すべてを犠牲にする勢いで、全精力を傾けて「ハードロックナット」の普及に心血を注いだ。

 そんな中、最初の突破口が開けたのは、昭和 51 年。京阪神の大手私鉄である阪神電鉄の脱線防止レールに、「ハードロックナット」が採用されたのだ。電車のレールは、通常、ナットの緩みを防ぐ「増し締め」を保安要員が月に1回実施しているが、ハードロックナットを使用すれば、設置当初こそ既製品より割高だが、その後の人件費は大幅に削減される。ハードロックナットは、「安全性」と「経済効果」の両方を満たすことができる、かっこうの商品として市場に受け入れられた。発注量は数十万単位にのぼり、ハードロック工業はたちまち忙しくなった。

 実際、ハードロックナットの緩み止め効果は、他のナット製品に比べると最強だった。ネジやナットの性能を測る振動試験機の実証実験では、一定の振動を与えると、市場に出回っている一般のナットはたったの 10 〜 20 秒で飛んでしまう。若林が開発した U ナットでさえ 120 秒。しかし、ハードロックナットは 17 分しても全く何の緩みも出なかった。実験では、宇宙開発を手がける米国の Nasa の振動試験でも、 60 分以上も緩みが発生しないことが実証され、それほどの強力なナットは世界を見渡しても例がなかった。

 ハードロックの性能の高さと、設置以降のメンテナンスフリーという経済効果が、認知されるようになると、採用は各産業方面で相次いだ。 JR 東日本をはじめとする大手私鉄のレールや架線部分はもちろん、高速道路・橋梁、鉄塔・高層ビルなどの建築関連、さらには車両や造船など、多方面で使用実績を重ねた。また、産業機械などで使用される軸受け用の緩み止めナット「ハードロックベアリングナット( HLB )」も開発し、圧延機やコンプレッサーなど大型産業機械分野でも広く採用されるようになる。

 この結果、売上高も 5 年目で月商約 2000 万円だったものが、 15 年目にして月商約 5000 万円まで順調に伸長し、利益も年間 5000 万〜1億円をコンスタントに計上できるようになる。販売量の増加とともに、自社生産していた製造部門も、3工場への外注生産に切り替えた。若林は、会社が年々成長するのを実感し、途中で諦めずに、「ハードロックナット」の普及にまい進してきたことが間違いでなかった、と思った。そして、そんな時、大学生の頃、「次々に新しい発明をして、ロイヤリティーだけで生活する夢」を思い描いていた自分がとても小さく思えるのだった。

 「商品というのは、生き物なんですわ。植物と同じ。実績のない新製品というのは、どんなに優れたモノでも、マーケットを生き抜くだけの力を持っていないから、植物を育てるように種を蒔いた後も、水や肥料をやったり、環境を整えてやらないとすぐに死んでしまう。商品に魂を吹き込んでやるのは、やっぱり人なんです」。

  「人が自分で創った商品に惚れこみ、自分の力で絶対にこの商品を世に出すんだという気迫で臨まないと、商品に魂は入らない。だから、他人の創った商品ではダメだし、自分の創った商品を他人に売ってもらうというのも違う。そのことが、よう分かった」。
   
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